闘病記「100針への道」

第1巻 右足

注意! 筆者の予想以上に長文です。面倒だから分割していません。エディタにコピーして読むことをお薦めします。

 それは1981年。

私は高校2年生で、夏休みを利用して原付の免許を取った。

バイクに憧れる世代である。

取りあえず原付だ。

免許が有るとバイクが欲しくなる。

バイトしていなかった私は金がなかった。

バンドもやっていたので毎回のスタジオ代もバカにならないのである。

返すあてもないのに同級生から中古でヤマハRX-50というアメリカンタイプのバイクを9万円で購入した。

 忘れもしない10月17日(土)、

学校をサボって友人と石狩にミニミニツーリングに行った帰りに事故は起こった。

友人宅にあともう少しという信号の無い交差点。(現在は信号があります)

滅多にクルマが通らないそこには普段止まっていない大型トラックが数台駐車されていた。

こちらは一時停止なのに・・・一緒の友人は止まったのに・・・

私は徐行で左だけの様子を伺いながら交差点に進入した。

なにげに右を見ると・・・

1ボックス車のフロントガラスが手の届く所に有り、

運転手の引きつった顔がハッキリと確認出来た

 「○○っ!(私の本名)」友人の声が聞こえた。

私は逆さまで空中に居た。

想い出が走馬灯のように駆け巡る。

でも、死ぬとは感じられなかった。

ヘタに手から落ちて骨折したら、オナニー出来ない楽器が弾けなくなるなと両手を守るように頭から地面に落ちた。

当時は原付のヘルメット着用義務がなかったのにも関わらず、

偶然ヘルメットをしていたのが幸いし、上半身は無傷であった。

「大丈夫か!?」

「私見てたわ、この人が一時停止無視して突っ込んできたの」と聞こえた。

その通り!私が悪いのである。

「す、すみません。」と言いながらヘルメットを脱ぎ立とうとした。

私の在学していた高校は、免許を取ることもバイクを所有することも校則で禁止されていて、

バレたら退学だったので、なんとか穏便に済めばと考えたのである。後日、脅しだと解ったけどね。

 でも、立てない。

右足に力が入らないのである。

あれ?と自分の右足を見ると不自然に曲がってるではないか。

膝につま先が着きそうである。

「救急車!救急車呼べ!」うむ、事は穏便には済みそうにないね。

実はバイクを購入したことは親にも内緒だったのだ。

マズイ。

非常にマズイぞ。

人生設計が狂ったかもしれない。

はたして中卒扱いでデスクワークがあるかしら?等と考えているうちに寒けがしてきた。

結構も出ているようだ。

親切な人が毛布をかけてくれた。

ブルブル、ブルブル。それでも寒い。

「お、おい。痙攣し出したぞ!」

バーロー!寒いんだよ!

「痛そう・・・」

アホ!痛いって気が付くだろ!

不思議と痛みはあまり感じなかった。

 ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜。救急車が来た。

初めて乗る救急車。なんかワクワクドキドキ

んなことを考えている余裕はない。

救急車に乗せられ、現在コンサドーレ札幌のチームドクターを勤める「松○整形外科」に運ばれた。

途中、マンホールを通過する度に右足に激痛が走る。

病院に着くと早速レントゲン室の前に。

救急患者の割りに診察も無いし、誰も構ってくれない

30分位すると両親が「どうしたの?何したの?」と心配そうに私を覗き込んだ。

マズイ。

非常にマズイぞ。

「ごめんなさい」それしか言えなかった。

結局、1時間待たされレントゲン室に入る。

 頭の軽そうな技師が居た。

「はい、靴脱いで下さい」

はぁ?折れてるんだよ?

ボッキリと。

血も沢山出てるんだよ?

「あ、脱げないですかぁ?」当たり前じゃん。

ギャーッ!とは声は出なかったけど、

ウグッ!ふ、普通に脱がせたな!

このアンポンタン技師!

「あぁ、靴下血でくっついてますね。切りますね。」

こ、こら!そぉーっと切ろっ!

「ジーパンも脱げないだろうから切りますね」

買ったばかりだけど仕方がないか。

ジーパンにハサミが入った途端に1リットル位の血がダラダラと出てきた

多分、傷口からはまだピューピュー出ていたのかもしれない。

1時間も放っとくからじゃないのかぁ?あぁ?

 何枚もレントゲンを撮った。

「はい、次は膝を上にして下さい。」

まて!こら!折れてるんだって!

膝を上に向けても足首から下は付いてこないんだぞ!

ウグァッ!

いとも簡単に折れてる足を上に向けたな!

「ちょっとつま先持っててくれます?」

信じられなかったけど、やったよ。根性入れて。

申し訳ない気持ちはあったけど、おまえ(技師)にじゃないぞ!

 

 地獄のレントゲン室から出ると手術室に直行した。

診察はないの?

他に痛いとこはないかとかねぇ。

無駄に明るい爺(後に院長と知る)が

「がっはっは!見事に折れてるな!」と言う。

見れば解るって。

「よぉーし、横になって・・・」なってるよ!

「まずは準備だ」何の?

急患だけど1時間も放置したんだから最低限の準備をしておけよ!

あ、注射だ。おいおい肩を消毒してるよ?

噂に聞く筋肉注射って奴?一番痛いって聞いたこと有るよ?

はうっ!・・・あ、足の痛さよりマシだよ!で、次は何?

「膝を抱えるように背中丸めて」はいはい、仰せの通り。

チクッ。・・・腰の上、背中に痛みが走る。

何?何してるの?注射なの?説明は?

あ!何か物凄く痛いよその注射。

「肉付きいいから6センチじゃとどかないわ。8センチの用意して」

何ぃ?

その8センチってもしかして針の長さ?

ちょっと待ってよ。そんな長い針の注射で何してんの?

こっちは痛みでロクに声も出ないのよ。

 例えるなら、背骨と背骨の間の軟骨を長い針の先でグリグリ探ってる感じ。

虫歯の神経の治療で何度も「ここですね?」と一番痛い所をいじられてるようなもの。

その痛みの何倍もの痛さ

もう足が折れてるの忘れる位。

「うん、よし、ここだ・・・もう少ししたら足がボーッとしてくるからね」なるほど。

下半身麻酔の注射だったのね。

じゃ、最初の注射は予備だか準備の注射だったのか。

そうだよね、手術室だもんね。手術しなけりゃ変だもんね。

 「足触ってるの解るかい?」解りません。

「針でつついてるの解るかい?」解りません。

って言うか、麻酔を確認するのに針を刺すな!

後から見たら赤い点になってたぞ!

「院長先生、輸血の用意は?」

はいはい、結構出血したのよ。

寒気もしたし、目分量でもトータル1リットル以上は出てるよ。

「クランケ何型?」

「ABだそうです」

「在庫は・・・いい、いい、いらないわ。若いから大丈夫。」

そんなんで輸血しないの?

本当に大丈夫なの?

「じゃ、手術を始めるか」・・・

所要時間約10分・・・

早い!

この爺は天才?

ブラックジャック?ドクターK?

骨折の手術が10分で終わったの?凄い!

 

 

「応急処置だけしといたから」

まてい!こら!

折れた足の立場は!

今は痛くないけど麻酔醒めたら痛いのよ!

「え〜っと、今日は土曜日だから・・・本格的な手術は手術日の火曜日にするから」

ふぅ〜ん。・・・(T_T)・・・

3日間も折れたまんまで過ごすの?

わははははは!なんでぇ?解んないよ。解んないけど、麻酔が上半身にも回ってきて頭がボーッとしてる。

はい、ここで10針。物凄く細かい。

 

 夢心地のまま病室に連れてこられたようだ。

看護婦さんが一杯いる。

7〜8人で俺をベッドに移すようだ。

当時の体重は80キロ代半ば。

重いわな。

今よりマシだけど。

あ、一生懸命持ってる。

ん?って言うことは・・・ベッド側(横)を見る。

うわっ!パンツ丸見え!

白と黒のストライプが白いストッキング越しに!

ラッキー!ヽ(^O^)ノ

男って単純。

あ、親父が居る。

もしかしてジーパン切ってる?

あ、パンツ脱がされた。

丸出しじゃん。

無抵抗だし。

何?そのフンドシみたいなの。

丁字帯って奴?

足下にはカマボコ型の鉄枠。

ああ、患部に直接布団がかからないようになのね。

でもその上から布団かけても寒いよ。

足下すーすーだから。

で、後に解ったことは、大量出血の原因は動脈だか静脈だか太い血管が切れてたのね。

応急処置でその傷口を縫っただけ。

その傷口は未だにヘコんだままです。

 

 2時間位寝たかな。

痛くて目が覚めた。

そう麻酔が醒めたのだ。

本当に折れたままで過ごすらしいな。

たまらんね。

親、学校、事故の相手に対する罪悪感、傷の痛みで食事所じゃないね。

その後二日間は水分をちょっととっただけ。

食べる気がしないんだよ。

にしても痛いぞ。

痛み止めの注射打ちますか?」お願いします。

ところでここの看護婦はいいぞ。

若くて綺麗な人が無茶に多い。

いいぞ!爺(院長)の趣味!

その中でも葛西さん(仮名)はナンバーワン!

お願いです。

童貞を受け取って下さいって位に美人。

いい匂いだし。

その葛西さんが注射打ちますかだよ?

打って下さい。痛いし。

本当は私が特大の暴れん坊を打ちたいけど。オヤジギャグ炸裂!

 その注射、後にモルヒネ系の痛み止めと知りました。

凄い効き目です。

例えるなら、自分が不快に思ってる部分が、

ぽーっと暖かくなって痛みがスーッと消えて、不安な気持ちまで静まっていくの。

そして健やかな一時の眠り。

そう一時なの。

2時間もすると薬が切れます。

お願いします。

薬を下さい。

何でもします。

麻薬中毒患者と同じ。

って言うか麻薬の仲間だし。

多いときは1日に3本。

もう毎日。

しまいにゃ、我慢できる痛みなのに注射を要求してました。

さすがに爺に止められたね。

2〜3日に1本限定だってさ。ケチ。

 入院した日は痛み止めの注射が効いていた2時間だけ眠った。

寝不足とかそんな状態じゃないね。

しつこいようだけど足は折れたまま。

翌日の午前11時位。

回診だそうだ。

爺を先頭に大名行列だね、まるで。

あ、葛西さんがいる。ニッコリ笑いかけてくる。

ふ・・・勃つものも勃たないぜ。

あ、布団が・・・鉄枠が・・・え?何するの?

そんなに大勢で。

うわっ!痛い!痛いよ!折れた足持ってるよ。

どうやら包帯を交換する気なのね。

でも、考えてごらんなさい。

膝を持ってる人。

ふくらはぎを持ってる人。

踵を持ってる人。

別々の人なのよ。

膝から足の甲まで巻かれた包帯を微動だにしないで交換出来ると思う?

ええ、出来ません。

だから折れてるんだってば!

せめてもの救いは葛西さんが手を握ってくれてたこと。

なにせまだ16歳のお子様ですから。

え〜っと、今日は日曜日。

手術が火曜日だから・・・この地獄の包帯交換を明日もするのね。

 

 あ、葛西さんだ。

「オシッコ出ましたか?」出ません。

他に5人も他人様のいる大部屋で

それもベッドの上で尿瓶にオシッコなんて!

そんな如何わしいプレイは出来ません。

「あんまり出ないとカテーテル入れますよ」

・・カテ?何それ?

「尿管に細い管を入れて強制的に膀胱のオシッコ・・・」

お願い!葛西さん!

そんな恥ずかしいこと言わないで!

今考えれば「それも有りだな・・・ふっ」ってプレイだけど、

当時の私には!それはマズイ!

憧れの葛西さんにちんちん見られる位なら・・・

し、尿瓶貸して下さい。

シーシー!シーシー!オシッコ出ろーっ!

ここは病室でも、ベッドの上でもないぞーっ!

出ろっ!・・・じょろろろ・・・出た。

よかった。

ここで1つ豆知識。

ベッドで尿瓶を使う場合、取手を下にした方が角度的に楽です。

看護婦さんも知らないので教えてあげましょう。

 月曜日の昼間。

「毛、剃りますね」おっ!加藤さん(仮名)だ。

この娘も美人。

私のナンバー2を進呈しよう。

え!毛ぇ剃るの?

「傷口に毛が入ったら大変なことになるのよ」

応急処置の時剃ってたか?

まぁ、いい。どうせ足だし。

道具は床屋さんと同じ。

陶器の器で泡立てて足に塗る。

決して洗面器ではない。風俗じゃないんだから。

足首、ふくらはぎ、膝、太もも・・・

え?太もも!?

患部は足首ちょいと上よ?

あ、内股にまで塗ってる・・・感じる。

いいかも知れない。

でも、痛くて勃たない。

ゾリゾリ。ゾリゾリ。

足の指の毛まで剃ってるよ。

あ、本当に内股まで剃るのね。

ちんちんの毛は剃らなくていいからよしとしよう。

 

 同じ日の夕方。

爺がレントゲンを持って現れる。

レントゲンを見て改めて凄いことになってるのを実感する。

太い方の骨と細い方の骨が足首のちょいと上でバッキリ折れてる。

「もう少し下で足首だったら、もっと酷いことになってたよ」

跨がるタイプのバイクの右側からクルマがぶつかったので、

バイクとクルマに右足が挟まれたのね。

その時に太い血管も切れたんだ。

じゃ、スクーターだったらこんなに酷い骨折にはならんかったのかもしれない。

爺は手術の説明に来てたようだ。

ようするにヒビじゃないので、切開して金属で骨を繋ぐのだ。

最悪、元通りの長さにならんかも知れないってよ。

「一回目はそこまでだから・・・」

へ?一回目ぇ?

一回で終わんないの?

どーなってんだよ!どーもなってない。

金属入れたら取らなきゃ。

骨のくっつき具合で細い方と太い方。

っつーことは、明日の手術の後に2回も切るんかい!

 

手術前日ってことで睡眠薬をくれた。

久々にグッスリ眠ったような気がする。

 手術当日。

「手術準備室に移ります」かしこまりました。

ベッドに乗せられて病室を出ると、ちょうど見舞いに来たと思われる友人達がいた。

「悪ぃ、これから手術なんだわ」と明るく言ったつもりだった。

後日聞くと今にも死にそうな顔してたそうだ。

準備室につくと、またあの痛い筋肉注射を肩にする。

ま、まさかね・・・。

「あのぅ、全身麻酔ですよね?」

「いえ、下半身麻酔ですよ」

・・・(T_T)・・・うそぉ〜ん。

あの背骨に刺す痛い注射を又するのぉ〜。

応急処置ならともかく、骨二本繋ぐ手術って大きい手術の方じゃないのぉ〜。

今回の手術が下半身麻酔なら後の2回の手術も同じく下半身麻酔なのぉ〜。

 手術室。

応急処置の時は余裕がなかったからあんまり観察出来無かったけど、

よく見ると・・・おぉーっ、ドラマと一緒だね。

でもね、忘れちゃいけない。

折れたままなんです、はい。

又、背中を丸める。

「すいません、看護婦さん。何か握るものないですか?」

痛さを堪えるために何かを握りたかった。

女性の手だったら握りつぶしてしまうかもしれないし。

なにせ当時の握力はベースのお陰で80キロ。

「え?あ、じゃあこれ」おいおい、包帯かよ。

握りごたえ無いし。

あ!文句言ってる間もなく注射刺さってるし。

相変わらず痛いし。握りごたえ無いし。

 麻酔が効いてきた。

右足に消毒液と思われる黄色い液体を塗ってる。

あ、太ももまで。やっぱり必要だから剃ったのね。

お腹の上に金具がのって緑色のシートがかけられる。

やっぱり見えるようにはしないのね。

いつのまにか手術は始まってた。「メス・・・カンシ・・・」なんか手術って感じじゃない?

おほほほ。何故笑う?

「・・・汗・・・ノコギリ・・・ドライバー・・・

おいおい、俺の足は日曜大工かぁ?

段々目が馴れてきた。

私の真上のライト。

最初は眩しかったけど・・・

縁の金属部分に・・・あのぅ・・・

患部が写ってるんですけど。

白い骨見えるし。

あ、眠たくなってきた。

目が覚めたら終わってるのね。

はい、ここで内側の太い骨15針、外側の細い骨14針、合計39針

 

 意識が少しだけ戻ってきた。

後から聞いたら6時間位の手術だったらしいよ。

病室に戻る途中らしい。

ラッキー!間に合った。

またパンツを拝めるぜい!

今回は!

おーっ!ナンバー2加藤さん!

薄いピンクのフリフリだぁ〜!

うむ、よろしい!

でもな、麻酔が醒めると手術前と痛さはあんまり変らんぞ。

はい、モルヒネ下さい。

大盛つゆだくで。

翌日、恐怖の包帯交換があるけど一応繋がってるんだから痛くないよね。

うん、そんなに痛くない。

痛くないけど・・・傷口を見て寒気が・・・。

傷口が腫れて塗った糸がボンレスハムのように食い込んでる。

その隙間から血がピューッて出てるの。

そうだよね。骨まで達する切り傷があるんだもんね。

そりゃ手術熱も出ますよ。アイスノン依存症。

痛いし。モルヒネ依存症。

それにしても、応急処置の時は血管だったこともあって、

物凄く細かく縫ってたのに、これは何?

ボツッ、ボツッと間隔も開いてるし幅も違うし。

手抜き?

適当?

いい加減?

後から知ったんだけど、女性の場合は出来るだけ傷口が目立たないように細かく縫うそうだ。

じゃ、男は!?これで料金一緒?

 手術当日から点滴地獄である。

当日は24時間。

翌日から化膿どめやら抗生物質やらを3時間!

それを1ケ月!

途中から心臓が苦しくない程度に、自分で調整していたから2時間位で済ましたけどね。

もう、毎日、針!針!針!未だに後が残ってるよ。

毎日違う看護婦さんがやるんだけど、相性ってあるのね。

かならずはずす人。失敗しない人。

痛い人。痛くない人。

漏れると痛いのよ。しばらくアザになるし。

さらに現在とは違い、肘の真裏の血管に刺すから、居眠りしてうっかり肘曲げたら・・・ああぁ、想像したくない!

 

 「便が出てませんね」

うふっ!葛西さん可愛い!

え?何?今、便って言った?

便ってウンコのこと?

そんな汚い言葉を言っちゃ駄目!

「だって、最近食べてないし・・・」

「事故の前には食べてたでしょ?」

ごもっとも!

考えてみたら、入院から5日、食事はほとんど食べてないけど、ウンコもしてない。

1日2回はする私が。

でも、ベッドから動けないよ。

ま、まさかここで!?

ベッドの上でウンコ!

オシッコでも必死だったのにウンコ!

「これ使って下さいね」形は説明しづらい。

プラスチック製で高さが10センチ位、縦30センチ、横20センチ、取手付き。

これを尻の下にひいてするんかい。

「あんまり出ないと、お浣腸しますよ

そ、それだけは!逆に私がしてあげるならいいけどって、おいおい。

 

 実は運び込まれた日から母がずっと看病してくれてる。

泊まり込みで、私のベッドの横の地べたに布団敷いてね。

うちは共働きで、ほとんど祖母に育てられたようなものだったので、こんなに母と一緒に過ごしたのは生まれて初めてだった。

「そう言うわけで、かあさん。消臭スプレー買ってきて。いつでもウンコ出来るように。」

本当は薄々感づいていたのね。

同室の人が急にカーテンで仕切って、シューシュースプレーしてるの。

そのスプレーの香りに混じって、あの匂いが漂ってきてた。

あぁ、ベッドから動けない患者はみんなしてるんだ。

私もしなくちゃ。「かあさん、そこで見られてたら出るものも出ないよ」全く!

ねばること1時間、出たよ。

もーブリブリ。「かあさん、出たよ」

あれ?声が小さかったかな?

なにせ肉親とはいえ、物心ついてからあんまり見せる品物ではないからね。

「かあさん?かあさん!?」「はいっ!はい。」このまま路頭に迷うのかと思ったよ。

ウンコ片手に。

 

日曜日、母にも休みをあげねば。

枕が変っただけでも眠れない位の神経質な人だから、病室ではほとんど寝てないはず。

変りに何の役にも立たない2つ下の弟(と言っても2人兄弟)が来た。

いかにも遊ぼうと思っていたのに面倒なこと押し付けられた態度でやってきた。

おまえには兄を慕うとか、心配するって気持ちがないのか?

後日、行ってやっただけありがたいと思え的な言葉を聞き、こいつとは一生仲良くやっていけないなと確信する。

けど、現在同じ職場にいる。役割が違うのが幸いだ。

晩の食事が運ばれてきた。

「兄ちゃん、メシ食わないの?」

「あんまり食欲無いんだ」

「じゃ、俺食うね」

あの・・・もしもし?

この病院の晩の食事は5時なのよ?

9時消灯で明日の朝まで何にも食えないのよ?

食欲なくても少し位食べないとお腹空くのよ?

全部、食いやがった。

そして一言「不味いな」おまえ、全部食ったろ!

しまいにゃ「あと用事無いね、俺帰るわ」何しに来たんだよ、おまえ!

普通はな、付添が食器下げるんだよ!

俺は動けないんだよ!

二度と来るな!

その通り!二度とこなかった。

悟ったね。こんな時、男は役に立たないって。

逆の立場でも、ほとんど何もしてあげられないもの。

 

 私の足はL字の金具に乗せられ包帯で固定している。

腫れが引かないとギプス出来無いそうだ。

驚いたのは外泊許可が出たこと。

雪降ってるのに。

でも外泊しました。

それも友人宅で徹夜で麻雀しました。

靴下も靴も履けないから右足の寒いこと寒いこと。

今考えるとよくジーパンはけたな。

 

しっかし、頭がかゆい。

1週間以上洗ってない。

臭い。

母がブラシでオールバックにしてくれる。

洗い物をする母に他の患者の付添さんが言ったそうな

「ご主人お加減如何?」・・・

わはははは!当時、私16歳、母43歳。

どうせ老け顔だよ!

 手術後、約10日。

抜糸だよ。

一針一針縛ってあるから一針ずつ切るんだよ。

まだ、腫れてる肉に埋まってる糸をピンセットでグリグリとほじくり出し、

狭い隙間に無理矢理ハサミを突っ込みバッチン!と切るの。

ねぇ、痛そうでしょ?

だって、その糸の部分は切ってないのに、18年経った今でも消えないで残ってるんだよ。

抜糸が終わり、数日したらギプスです。

足に石綿のようなものを巻いてから石灰につけた包帯を巻いていきます。

右足がどんどん重たくなっていきます。

速硬性なのですぐに固まります。

翌日、看護婦さん(ランキング外)が巨大な変形バリカンを持参して登場!

いやっ!髪は男の命よ!え?違う?

・・・ギプスに穴開けるんだって。

応急処置で縫った血管のところはまだ抜糸もしていなく、なんか汁が出続けてるからだって。

そこだけ丸くくり貫くんだって。

大丈夫なの?

足切れない?

どうせ、ギプス取るときにも同じの使うんだろうけど心配だよ?

あぁ、この辺とか言ってマジックで丸書いてるし。

この変形バリカンの先には扇型の刃が付いていて回転運動ではなく、往復運動してるらしい。

それにギプスの下には石綿みたいなのがあるから絶対に足は切れないんだって。

でもね・・・ウィーン、ウィィィーーーン、ヴィーン・・・

あの・・・摩擦熱が石綿を通じて足に感じられるんですけど。

麻酔掛けられて足切断されてるような気分。

マジックで書いた線と随分ずれてるし。でも、足は無事で、くり貫き成功。

 「さぁ、足を下にさげて、ベッドに腰掛けてみましょう」

へ?腰掛けるだけ?

なんてことないじゃん。

入院してからしてないけど。

ふん。腰掛けるのが何だって言うの?

・・・あああ

・・・うわあああぁぁぁ!!

な、な、なにこれ!

ギプスから見えてる足の指が見る見る真っ黒になって痛い!

我慢できない!すぐに足を戻す。

どうも、血液が急に足下に集まったらしい。

人間、1ケ月も横になってると日常に戻ったときに思わぬ弊害があるようだ。

2〜3日かけて徐々に馴らしてやっとこさ足を下ろせるようになった。

これで楽に外泊出来るじぇい!風呂は難しいけど・・・

 

 入院中、申し訳なかったのは事故の相手である。

明らかに10対0で私が悪い。

でも、お互いに動いていた以上、9対1とか8対2になるんだって。

でも、その運転手さんはカステラを持って2度もお見舞に来てくれた。

訳が解らん友人もいた。

通称ヨ○チというバンドでボーカルを担当していた奴で、現在は中学校の先生をしているのだが、

そいつがある朝、面会時間でもないのに突然現れて

「悪いんだけど、荷物預かってくれ」と言う。

「どうしたのよ、何があったの?学校は?」と聞くと

「急に海が見たくなった」と言い、本当に行ったらしい。

それから見舞客に一言。

男に花持ってくるな。

6人部屋に5個入りのケーキを持ってくるな。

暇つぶしの出来る本とかの方がよっぽどいいぞ。じゃなきゃ現金。

 

 ギプスは膝の上まである。

折れた個所が足首に近いからだって。

だから膝が曲がらない。

だけど、それとちょっと重たいだけで他に不自由はない。

短距離なら松葉杖無しでも歩ける。

狭い階段なら手すりと壁に両手突っ張って左足でトントン降りれます。

痛みは全くありません。

公共交通機関やタクシーも必要以上に親切にしてくれるしね。

ただ、困ることが1つ。

ウンコするとき。

なにせ膝が曲がらないから、狭い洋式だとドア開けっ放し。

和式なんて中腰でこの体形を両手だけで支えるようなもの。

重労働です。

それにしてもギプスの中が痒い。

針金の先を丸めてビニールテープを貼り、それでボリボリかく。

かきまくる。血が出ても治療出来無いよー!

 

 高校はそれまでのサボリがたたり、進級不可能な出席日数になってしまった。

来年も高校2年生をすることになってしまった。

退学と脅されていたが結局のところ停学2週間ってのが私のうけた罰である。

うちの高校はちょっと変ってて(グランドが無いだけで充分変っている)、

2年生の終わりに3年生に進級確実な生徒だけ修学旅行に行くのだ。

どうせなら同期の連中と行きたかったな。

とりあえず、来年から2年間我慢すれば最終学歴高卒ってのは確保出来そうだ。

中卒扱いでデスクワークなんて、中々ないでしょ。根性もないし。

 

 予定では年明けに細い方の骨の金属を取り、3月初旬に太い方をってことだ。

途中、退院することも出来たけど、リハビリも含めて週3〜4回は通院しなくてはならないし、

手術の度に準備も必要ってことで、面倒だから3月まで居座ることにした。

約半年である。

2ケ月もいれば馴れて居心地よくなるよ、外科は。

食い物制限ないし、当時は病室で煙草も吸えたし。

病室で17歳の誕生日迎えたし。

わはは!しかし、半年もいると外科では長老だ。

あ、寝たきりの婆さんがいたから2番目だ。

 入院中は馴れてても退屈だ。

ラジカセ、テレビ、エレキギター、エレキベースと持ってきてもらったけどね。

救急車が来ると歩ける入院患者は窓に群がる。

そして歩けない患者に報告する。

救急隊員がちぎれた腕もってただの、足もってただの、頭もってただの嘘ばっかし。

更に冬なもんだから、スキーでの骨折患者が多い。

でも、ひねって折ってるし、ヒビが大半なので退院も早い。

中にはボッキリいって手術した人もいるけど、傷跡を見せてもらったら私より物凄く細かく綺麗に縫ってあった。

若い女性だったかららしい。

でもね、細かく縫ったほうが抜糸の時に痛いんだよ。

ふん!負け惜しみだけど。

 

 正月を自宅で過ごし、病院に戻ると早速ギプスをはずす。

又あの巨大変形バリカンの登場。

ああぁぁぁ、だから摩擦熱が足に・・・切れてるような感覚がぁ・・・

記念にギプスが欲しいと頼むが、既にゴミ箱行きで断念。

拾ってくるな!ちっ!しょーがねぇな!

持って変えるも数年後捨てました。

ギプスを取ってびっくり。

足が・・・細い。

ふた回り以上細い。私史上で一番細い。

でも、筋肉が無い。ぼよんぼよんのたぷたぷ。

それに1ケ月以上洗ってないから、が凄いことになってる。

踵はカチンコチンに堅く、他の部分もひび割れする位に。

こいつらはいっぺんには取れない。

無理にはがすと真皮までいってまうぞ。

何度も何度もお風呂に入って少しずつ取らなければならない。

 続きましてレントゲンです。

あの憎っくきアンポンタン技師の注文にもスムーズに答える。

ふん。で、爺に呼ばれる。爺は腕組みしてレントゲンを見つめてる。

ほほぅ、手術後のレントゲンは初めて見るね。

ありゃりゃ、太い方には細長いプレートが6〜7本のネジで固定されてる。

細い方には先を丸めた棒状のものが数ヶ所針金みたいなので固定されてますな。

で、爺は何を悩んでるのだろう。

「まずいことになってるね」

何だよ!まずいって!ちゃんとくっついてるんじゃないの?

「骨はくっついてるんだけどね」じゃ、いいじゃん!けどねって何よ!

爺の説明によると、細い方は本来くるぶしの部分をちょっとだけ切って引き抜くんだって。

それが私(当時)が若いもんだから、成長(回復)が予想以上に早く、肉が癒着を始めてる可能性があるとのこと。

で、またバッサリ切らなきゃならないらしい。とほほ・・・

 3回目とは言え、またあの痛い注射です。

ふん。特に新しい発見は無し。取り出した金属は記念に貰いました。

パンツも見ました。
はい、ここで14針、合計53針

 傷口を見る。こら、爺!へたくそ!同じところを縫えよ!

なんで男だとこんなに雑なんだよ!切るときも同じところを切ろっ!

微妙にズレてるだろ!まったく!等と言ってる間に3月。

太い方も同じように手術しました。

パンツも見ました。

はい、ここで15針、合計67針

 傷口を見る。怒る気にもならんわ。

同じようにズレまくり。

退院してから聞いた話ではヤブで有名らしい。

手遅れだけど。大丈夫か!コンサドーレ!?

でもね、切断せずに済んだこと、長さが短くならなかったこと、ふん!

一応感謝してるじぇい!爺!

 

 リハビリは主に筋力回復とマッサージだ。

なにせ足首はギプスで1ケ月動かさなかったから、ツラかったね。

でもマッサージは気持ちいい。

最中にちょくちょく居眠りしてしまうほど。

しかし!リハビリはちゃんとしたはずなのに!未だに長時間立っていられない。

右足をかばったせいか、左足まで痛い。

3時間が限界。天気が悪くなる前や寒い日も痛いよ。歩けなくはないけど。

 正式な病名は「右足首上開放骨折」だったかな?

面倒だから複雑骨折って言ってるけど。

 

 これが通算3回目の私の入院です。

1回目は赤ん坊の頃、風邪気味なのに親父にどっか連れていかれて、

何か変な病気に悪化して生死の境を彷徨い、

2回目は小学校の頃、前日の残り物の寿司で食中毒。

 

 みなさん!一時停止はちゃんと止まりましょうね!(当たり前)

 

追記1

30数年生きてきて、多分一番痛い思いをしたと思います。

でも一度も気を失うことはありませんでした。

痛さで気を失うってのは、更に上なのね。

出産の痛さと比べるとどっちが上なんだろう?

 

追記2

退院の直前、私は手術室に忍び込みました。

18年も経ってるから時効だよね。

何故か!記念にメスの一本も貰おうかと思いまして。

今にして思えばいい度胸してるなと思います。

でも鍵が開いてる方も悪くないか?

正面の扉は閉まってたけど、準備室からは入れたよ。

で、メスを探すも、その辺に置いてある筈が無い。

金属のケースに入ってる筈。見当たらない。

ちっ!別のところに保管してあるのか・・・おやぁ?

こ、これは!発見!でも・・・布にくるまれてる。

ケースごと。その上、封印してある。・・・断念しました。